日高線の思い出
- 私の父勝敏は、国鉄鵡川保線支区に勤め、今年3月31日に廃止された日高線のうち、鵡川ー富川間の線路保守を担当していました。昭和41年(1966年)に新設された国鉄日高線鵡川保線支所(後の支区)の支所長になったのです。小学校6年生だった私を含め家族4人で鵡川に2年余り住みました。かつての日高線は、廃止された区間から苫小牧に通学する高校生が多く、4両編成の気動車が混んでいました。十勝や襟裳岬に家族旅行した帰り、様似駅から急行えりも号に乗った思い出もあります。
- 静内(現在の新ひだか町)沿線は、波打ち際に近いところを線路が走っていました。災害を機に不通期間が長引き、復旧費用もかさむことから、鵡川から先の様似まで廃止されました。線路自体は災害を受けなかった鵡川ー富川間だけでも、廃止せずに済んだのでは、と残念です。
写真は昭和42年に私が撮影しました。当時は、貨物列車の小さなSL(C11)も走っていました。