2005年11月7日にニューヨークで、ユージン・ジェンドリンにインタビューをしました。写真は、通訳者が撮りました。
 ジェンドリンは、国際フォーカシング研究所主催のウイークロング(資格認定ワークショップ)で夢のフォーカシングを実演し、参加者と質疑したあと、私の取材に1時間10分を割いてくれました。この記録を基にした記事は同年11月27日に、北海道新聞朝刊3面「時代の肖像」欄に掲載されました。


ジェンドリンとのインタビュー(2005年11月7日・米国ニューヨーク)

 (質問 上村英生 通訳 三宅麻希・四天王寺大准教授)

Q:フォーカシングとは何か、フォーカシングを知らない日本の新聞の読者向けにやさしく説明してください。
A:私たちの経験の中には、ふだんやっている以上の深いレベルのものがあります。私たちは、感じたり、考えたりすることを完全に理解しているというレベルで生活しています。それで、もし、私たちが怒ったり、悲しんだり、血気盛んになったり、失望したりしたとして、だれかが、なぜあなたは失望したの?と聞いたら、あなたはなぜなら私は…だからと説明して、そのだれかはわかったとなるでしょう。そして、それから、もしあなたがフォーカシングの方法で、もっと深いところに行ったら、最初はあなたは何も見つけられないように感じるでしょう、それから、その何かはっきりしない感じをあなたは感じるかもしれません。そして、まさにそのあとで、あなたは開けてきて、あなたは言う「ああ」そして、何かが現れる、あなたは、失望した、ある特有のものがあるということがわかる。
 それで、私は、期待していただれかが来なかったことで、その人はがっかりしていると言える。重要なのは、あなたがそこには意味があるものは何もないと考えている失望したところを確かめてみること。そして、そのあと、すべてのものが複雑で、私たちは知らない何かを見つけるということを発見する。それで、ある人はいうでしょう。「私は失望したけど、失望したことは重要ではない」、ほかの人は言うでしょう。「私は人を信頼することを学ぼうとしている。私は人を信頼し始めている」とかなんとか。しかし、ある人は全然違うことを言うかもしれません。ある人は言うでしょう。「たいしたことではないが、失望した。でも、彼に尋ねるべきではないと思った。私は、自分の感じに決して注意を向けないように、いつも私自身に言いきかせています。私はいつも、そのことは重要ではないと、私自身に話しています」
 ほかのだれかは言うでしょう。「私は私たちの人間関係をよりよくするもうひとつのチャンスを与えました。そして、彼はそれをよりよくしようとしなかった。そして、それから、それはより遠くに行ってしまった。それで、私は、私自身に言っている理由以上のものを得た…」。
 だが、同じようなことが、個人的な状況だけでなく、たとえば、科学の実験室でも起きています。
 大学とかで実験室があって、大学院生とかが実験をしているだけど、そこへ教授がときどき来るんだけどね。大学院生たちはすごくいろんなことを知っている。だけど、それを口に出さない、なぜなら、知っていることを口に出すっていうことはそこでは適当ではないから。その科学の実験で、あなたがわからないことを、これはきっとこういう結果が出るんだろうとか、予言するとき、もしかしたら、大学院生たちがもっと中にフォーカスすると、あなたはなぜなのか発見できるかもしれない。そんなふうに、何かはそういう大学院生にしても、何か感じているものとか、何か新しくみえてくる要素は内側には持っているんだけど、楽に感じないその内側にフォーカスしていないから、あなたも発見できない。それで、もしあなたが、どうして、なんか内側ではなんかわからない感じがしているだろう、とか問いかけてみること、何かが生まれてくる。
 それはビジネスの会議でも同じことで、もし、あなたが何か解決するべき問題を会社の中にもっていて、会議を開くとする。そして、その問題について知っている人々が、会議に参加している。問題の答えは会議室の中にある。でも、だれも心の中にはそのこたえを持っていないので、あなたは答えを聞かないだろう。かれらは、それが起こったことを知っているが、「私はそれをしなかった。私はそれを知らなかった」というだけ。かれらは1日中座っているが、考えた以上に知っている内側の場所に行こうとしない。このように、(本当は)私たちは、これまで考えたり、聞いたりしている以上のことを知っている。
 最後の言葉は、私たちは、考えたこととか、知っていることとか、そういうもの以上のことを本当は知っている。聞いたことのあることとか、以上のことを私たちは知っているということ。We know no  more  than  we  thought  or  heard
Q:そうすると、もっと知っていることに対して焦点を当てる、そのことがフォーカシングということですね。確かめてみてください。(通訳が英語で繰り返す)
A:いや、フォーカシングは、あなたが感じているけど、知らない何かとともに時間を過ごすこと。あなたが知らない、つまり、それが何なのかを自分自身に語れないものと一緒にいることです。
Q:「フォーカシング」の本の中で、「この重要な内的行為は教えてもらえるが、習うにはクライエントである必要はない、この事実がもたらすものは一種の革命的な変化である」「自分で自分を助ける革命」と書いています。メアリー・ジェンドリンも、「革命的な休止」、という言葉で、話をする前にその言葉でいいかどうか体に確かめてみることを提案しています。フォーカシングのこうした革命的な側面を教えていただけませんか。
A:そうですね、そこには私からみて、2つの異なる話題です。
 最初のほうについて言うと、どんなこととも相互作用をもつことが大切で、あなたが考えている極端に感じる何かとさえそうです。その間に、あなたと議論したり、彼らの考えをあなたに言おうとしたりせずに、あなたの話を聞くことのできる人と相互作用することが重要です。それで、私が、クライエントである必要はないといったとき、私はあなたがすべて1人でできるということを意味するつもりはありません。なぜなら、あなたは、本当に人を必要とするからです。それで、私たちはフォーカシングパートナーシップをもっています。あなたのパートナーは、セラピストでなくても、専門家でなくても、何かを知らなくてもかまいません。かれが知っているべきことは、あなたの話を聞いて、彼が理解できないときにあなたにそれを言うことがすべてです。そして、それから、あなたは対抗する人とも相互作用をもつ、どういったらいいか、何もあなたに対して誇張せず、付け加えずに。そして、私たちは1人でもフォーカシングをします。
 そうです、私はどちらも言いたい。他の人の存在は大切です。でも、私たちのフォーカシングの90%が1人でしているのは、そこにほかの人がいないからだということも言いたい。
 あなたの質問のもうひとつの部分について。
 あなたがフォーカシングを知っていて、あなたの内側をチェックできるときに、そのことをいえます。たぶん、あなたはフォーカシングを知っているといえるでしょう。それから、だれかがあなたにするべきこと、したいこと、しなければならないことを言うとき、あなたは自分自身の内側に入っていきます。そして、あなたは、自分の体の「う~ん」というところに尋ねる、そして、「う~ん」が意味するものに「それは、私にとってどんな意味があるの?」と尋ねます。しかし、あなたは、もっと尋ねます。そうすることで、あなたは、ほかの人によって心の準備をさせられる(まとめられる)ことがなくなるのです。そして、1、2分後、あなたは教えられた通りするかもしれません。しかし、あなたは、その間に、それがあなたにどのように合っているかを見る時間をもっています。すべての人はこのことをしますが、深くはやりません。
 それには時間をとりません。「はい、私はこれをするでしょう、それもするでしょう」。それで、もし、だれかがやってきて、(国を)統一しようとしたとします。人々はマケドニア人に対して服従したり、イスラムに対して服従したり、簡単に押し流されます。人々は容易に水溜りになります。あなたがマケドニア人をまとめているなら、「私はマケドニア人だから、そっちへ行こう」とか。あるいは、あなたがこれらの人々をまとめていたら、これらの人々はやってきます。そこで、革命的な休止の時間をとると、もし、ある人が「オーケー、あなたは、私たちがアラブ人を探しに行こうとしているのを知っている。あなたはユダヤ人だ。ユダア人かアラブ人か、でもちょっと待とう」と言えます。
 同様に、ビジネスの世界でも、あなたは彼らの指示を受けています。そして、たぶん、「私は『ちょっと待て』と大きな声でいえる立場にいない」かもしれません。でも、内側では「ちょっと待って」とポーズを入れて、より深いところに行き、それがいいアイデアではないということを発見するかもしれません。たぶん、私はそれについて何も言わないでしょう、なぜなら仕事を失いたくないからです。でも、少なくても、もし、あなたが来て聞いてくれたとしたら、もし、私たちがその問題についての会議をもつとしたら、そのときは私はわかっているからそれを言う準備ができています。
Q:ブッシュ大統領(当時)が9.11以降「テロへの戦い」といい、イラクへの軍隊の駐留が長引いている。今、日米の政治権力の保守化し、危険になっているように見える。その結果、たくさんの人がイラクで死んでいる。日米の国民は、政府から圧力を感じている。若い人はイラクに行かなければならないとか。フォーカシングをこうした政治状況にどう応用できるか、具体的な打開策は?
A:その質問に答えられかどうかわからないが、その質問の一部に対して、人々は自分自身の考えについて考えようとしない、ということはできる。かれらは時間がなく、人々は彼らに尋ねようとしないので、考えるために内側に開かれていないし、それで、投票するよう頼まれたとき、そこには何もない。それで、多くの人はブッシュに投票する、なぜなら、彼らはほかの候補よりよりすてきな男に見えるから。あなたが彼を見たとき、この男はより魅力的な男に見える、彼はたぶん、より魅力的な男ではないだろう、しかし、かれはより魅力的に見え、より人間的に見える、いま、あなたは彼は怪物で、すばらしいと思うだろう。??それで質問に関して、私が言いたいのは、私はフォーカシングは役立つが、私たちは、政府から圧力を感じてはいないということを言いたい。それは、私たちが考えていることを変える、それは私たちが何も考えていない以上のものである-私はそれをステプバイステップと言う。私はアメリカでは、多くの人々は政府から圧力を感じているというのは、正しくないと思う。それが真実だとは思わない。私たちは、その側面については、自由である。しかし、大部分の人々は考えない。
Q:「フォーカシング」の日本版に、日本人の文化はフォーカシングに受容的と書いている。日本人は政治的、社会的決定の前に互いに感じあおうとする。
A:それは私の書いたとおりの言葉?
Q:いいえ、訳した言葉です。私たち…、日本の文化は、すでに、フォーカシングのようになっていて、日本社会では個人により注意、関心を払うので、フォーカシングは日本では、体育のように、もっと教えられるかもしれない、と書いてある。これは20年前。近年、こういう日本の美しい文化は減少し、複雑な問題を単純に話す政治家が国民の支持を得ている。
 (*通訳が説明:ジェンドリンが日本に行った時、自分たちのやりかたと違うなと思ったのは、相手のようすを見ながら、次にどうしようかというのを決めているというところ。普通、アメリカ人だったら、すぐに議論をしてしまう。常に日本人は相手の顔色をうかがうということをしているでしょ。その2人の間で上手にできるような、なんか、うまくどっちもがよくなれような感じ、ところを探すのをやっている。「なぜ、自分がベジタリアンなのに、チキンが出てくるんだ」とか言うんじゃなくて、上手な解決策みたいな、折り合いをつけるということを日本人はやっているんだというのを見て、そういうのはアメリカの文化とは違うところだ、そういうところを彼は言っていた)
Q:あなたは、この本でそういうことを書いている。それで、フォーカシングは日本の文化に合っているというわけですね。
A:それがただ1つの理由ではなくて、もっとあります。日本人は、ここにある感じに触れて、そこに意味を見つけるのは苦手だが、そこに入っていくのは得意だということ。逆にアメリカ人はここに触れるのが難しいけど、触れれば、すぐに意味がわかるみたいなところがある。まだ、ほかにも理由がある。(アンの本の翻訳本について説明)
 日本にいたとき、日本人は2つの文化の中に生活していた。西洋のリビングルームなどの文化や新しい技術と、古い日本の文化がどっちも両方共存しているようなところがある。だから、違う文化がきても、それをすごく理解できるような感じがあった。2つを常に追っているので、それぞれを理解できるような感じがあった。それが本当かどうかわからないけど。
Q:「フォーカシングの政治的問題への適用」という「ステイ・イン・フォーカス」(国際フォーカシング研究所発行)の論文で、1つのアプローチとして、政治家にフォーカシングを教えること、2番目に、その場にいる人が決定できるように組織をかえること、でも現状ではそれがあたりまえになっていない。フォーカシングを政治的側面や社会システムを変えるのにつなげていくには、具体的にどんなことが必要か。もっと具体的に知りたい。
A:私は1つではなく、あまりに、たくさんの答えがある。いくつか示そう。ちょっと時間がかかる。どのようにフォーカシングが社会状況に役立つか。ひとつの全体ラインは、人を理解するっていること、人は実際にはもっと複雑で、面白いものだとわかるということ。それから、フォーカシングを団体の中でももっとわかっている部分とかある。人間は複雑なのに、組織はとても愚かでわかっていない、とわかること。
 次の部分、政治的な何かを変えようとしている、良くしようとしている人たちが1つの部屋に集まって話をするんだけど、会議が終わったら疲れて帰る、でも、何年かしたら来なくなる、ほかの人がくる。フォーカシングとリスニングでは、その部屋で起こることとは違うことができる。政治的な意味を扱ったとして、深いところから感じていくことを教えたとしたら、お互いに力を与えることができる。家に疲れて帰ったり、バーンアウトしたりする代わりに。
 別の側面がある。それはだいたいはできないこと。はっきりわかっていることだけをしたら、それはできること。その世界の貧困について、どんな人にとか、できないことだらけだけど、そんな大きなものでなくて、貧困の状況の中のひとつ、もっと実際のその状況の1つみたとしたら、できないことじゃない。いままではなかったような何か深いところにかかわっていくっていうことが大切。
Q:いろいろ、さっきから聞いて感じたのは、自分のフェルトセンスを大事にすることによって社会を変えるということにつながっていくということが大事だというふうに自分は理解したんですけど、それを一般の人にどう伝えたらいいのか。たとえば、フェルトセンスという言葉を使っていいのか、ぜんぜん知らない新聞の読者に、今のことを伝えたいんだけど。もし、フェルトセンスという言葉を使ったほうがいいのであれば、フェルトセンスについて最後にどういうものか説明してほしいし、私の理解としては、わかった、それぞれのフェルトセンスを大事にすることが社会システムを変えるということにつながるんだ、それは「深いところに触れる」というふうにジェンドリンは言った。
A:通訳してください。
Q:(通訳が英語で)フェルトセンスに触れたり、フェルトセンスから何かをすることが一番大切だと彼(上村)は理解した。そして、彼は読者にフェルトセンスはとても大事だと伝えたいが、いつ、普通の人にフェルトセンスはどんなものと伝えたらいいのか。
A:それは最初のほうに言っていたこと、なんか、う~んって感じられるけど、何かわからない、それがフェルトセンス。それはからだの感じで、それは瞑想(めいそう)まですごい深いところにあるんじゃなくて、その間のところにあるような、そういうもの。
Q:それで、フェルトセンスという言葉をフォーカシングを知らない読者向けに記事にそういう意味で、書いてもいいということ?(ジェンドリンは、フェルトセンスという言葉を読者向けに使っていいかどうか迷っている)
A:フェルトセンスという言葉を使うかどうかじゃなくて、自分の経験としても、フェルトセンスがどういうものかというのは、あると思うから、そういう言葉を使うとしても、ちゃんとそういう言葉を説明したほうがいいと思うよ。
 たとえば、座っていて、いすが自分をなんか押し上げているような感じというときもあるし、そういう感じだったら、みんな感じを認める、それがもう少し、体の上のほうにあって、その感じがフェルトセンスだよって紹介したりします。
 私はもう1つの例を挙げて話したい。アフリカのチャドの大きな石油会社で、石油を運ぶ船に直接つながるパイプラインをつくっている。世界銀行とか、いろんなところがそこにお金を使いたがっている。自然保護とかの団体がその会社と戦っていた。それがよくある光景。1つだけは違うことがそれには、ある。普通は、石油会社が人を変えるようなことをしたくないんだけど、この場合はそういうことをしている。石油会社のほうが自然を守るようなことをしている。エレン・ブランウンによって、そのことはされていた。石油会社がまわりの人たちのために、パイプを少しだけ違うように、まっすぐにつくるんじゃなくて、だれも被害を受ける人がないようにパイプをつくった。そのこと、だから、その周りの人たちが、反対することなしに、それをやることができた。文化人類学者だけど、彼女はそこで30年間働いている。彼女はまさに、どこに何があるとか、どういう人が住んでいるとか、本当にたくさんの細かいことを知っていた。詳細を知っていたからこそ、今までになかったことをそこにつくることができた。詳細を知っている人がいなければ、何もできないし、何もすることができない。すごく知っている人を探してくてこなきゃならないでしょ、そういう探してくること自体が難しい。
Q:最後の質問。政治家はいろんなことをジャーナリストに相談したりしているので、ジャーナリストにフォーカシングをもっと知ってもらって、もちろん、新聞やテレビで伝えてもらうと同時に、ジャーナリストは政治家にあう機会が多いので、そこで、ジャーナリストが政治家の話を聞きながら、よりよいクリエイティブな政治的な決断をしてもらうことが重要だと思うんだけど、ジャーナリストにフォーカシングをもっと教えるのはどうですか。(通訳が英語で繰り返す)
A:5番目の質問!それはすでに言ったことだけど、とにかく、その場にいる人、その現状に巻き込まれている人に(が)フォーカシングをするっていうことが大事だから、確かに、ジャーナリストたちにフォーカシングを教えて、そして、その人たちが中心になる人を探して、そうやってフォーカシングをするっていうようになるのはいいけど、そのことが直接的に何かの問題を解決することにはつながっていない。だから、本当の人間の状況はどういうものかということ自体は、たぶん理解できると思う。