新年に「変化し続ける自分」
2022年が明けました。初詣で何を祈願したでしょうか。老いや病気など苦しみからの救い、就職、家族の幸せ…。葬式や法事は仏教、クリスマスなどのお祝いはキリスト教で、正月は神社に行く、日本人の宗教性を考えさせられます。
札幌市東区北12東1に、長野県諏訪地方から移住した人たちが明治15年にほこらを据えた札幌諏訪神社があります。手を清める水は凍っていて、中に花が飾られていました。1月2日は、穏やかで、最高気温がプラス1度まで上がりましたが、最低気温はマイナス11度の寒さ。日中は日差しに誘われて、たくさんの市民が初詣に訪れていました。
私はこの年末年始、「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)入門」(賴住光子著)を読んでいます。道元の主著で、仏教の基本的思想が書かれています。ジェンドリンのプロセスモデルの視点から読み解く村里忠之さんの話にひかれました。賴住さんの本にこんなくだりがあります。「道元の考える本来的自己」とは、「ありとあらゆるものがはたらき合い、結びつきあっている自己であり、プロセスとしての自己なのだ。自分がさとるとは、本来、あらゆるものとのつながりのなかで、刻々と変化し続けるものとして自分がいたのだと気づかされるという受け身の事態なのだ」
これは、ジェンドリン哲学の「Interaction First」(まず相互作用ありき)、「Everything by Everything」(万事連関)と同じように感じられます。