京都、滋賀の寺で感じた「間」
紅葉の寺を訪ねて、京都と滋賀県を旅行しました。
今年が古希の私は、紅葉に人生の美しさと残る時間の短さを感じました。昨年から、五木寛之さんの「百寺巡礼」に習って全国の名刹、古刹を巡礼し、今回の10寺を合わせて33の寺を周りました。そこで見えてきたのは、中国や朝鮮からもたらされ、長い歴史の中で日本人の文化になった仏教の奥深さです。
しっくりきたのは最も京都から遠い滋賀県東近江市にある百済(ひゃくさい)寺でした。文字通り、百済から日本に渡来した人たちのために創建された滋賀県で最も古い歴史を持ちます。駐車場係も親切で、五木さんの本で紹介されたパネルも掲げられ、素朴な印象を受けました。織田信長に寺全体が焼き討ちされた時に燃え尽きた千年菩提樹の根から再生した木が、命の悠久さを物語っていました。
訪れる人がぽつりぽつりだった石塔寺では、高い階段を上った先に、朝鮮半島の石の文化を思わせる日本最古・最大の阿育(あしょうか)王塔がありました。その周りに並ぶ数万基の石仏、石塔群に、「ここまで運ぶのは大変だったろうに、どんな気持ちを託したのだろう」と想像が沸きました。
京都や大津の古刹は、どこも観光客で大にぎわい。永観堂は、「モミジの」と形容されるだけに外国人を含めた観光客であふれていました。「京都大原三千院恋に疲れた女が一人」の歌詞が自然に出てくる三千院では、コケと紅葉が映える庭の美しさ。同じ大原でも、壇ノ浦の戦いで海に飛び込み、命を救われた建礼門院が30代で亡くなるまでひっそり過ごした寂光院の静けさと悲しみ。浄土宗の開祖・法然が教えを説いた地域にある知恩院では、徳川幕府によって整備されたスケールの大きさ。法然への熱い思いが山肌の高いところにある御廟に「どうぞお参りください」と線香が絶やされていないことにもうかがえました。
真如堂には、仏教の宗派や神道との境も超えた何かがありました。石庭を眺めながら和室でくつろぐ観光客に、駆け足で寺周りを急ぐ私にはない、時間の使い方を教えられました。
ジェンドリンは「フォーカシング」の日本語版序文に「精神的、対人的にみると、日本には私が行ったどこよりも間(space)があるように感じました」と書いています。今回の旅で私の心にも、時間、空間を超えた言葉にならない大きな「間」が生じました。