日本ジェンドリン学会第5回シンポジウム「ジェンドリンの思考論」

 ユージン・ジェンドリンの命日(5月1日)ごろ開かれている日本ジェンドリン学会の第5回シンポジウムが、オンライン会議システムズームで開かれました。今年のテーマは「ジェンドリンの思考論」。村里忠之さんと末武康弘さん、岡村心平さん、得丸智子さん、古井戸祐樹さんの5人が、フォーカシングで知られるジェンドリンの思考を人々の日常生活や社会に広めていくにはどうしたらいいか、熱く深く議論しました。ユーチューブ(日本ジェンドリン学会10周年記念大会(第5回)シンポジウム「ジェンドリンの思考論」2022年5月5日 – YouTube)で4時間19分の動画が公開されています。
 まず、学会事務局長の諸富祥彦さんが「ジェンドリンの思考は、哲学や心理学にとどまらず、深くものを考える、という営み全般にあてはまることではないか。思考の様式や場所、深さが変わる」と問題提起しました。
 学会長の村里さんは「ジェンドリンは、西洋の哲学史に”the implicit”(暗に含まれた)を付け加えただけ」と言っている。the implicit とは、言語化以前の暗在的な身体感覚のこと。コロナ禍やプーチンの戦争のような混迷した時代にどう生きればいいのか。複雑な状況とあまりに概念的な思考では、この状況を乗り越えられない」と述べました。ジェンドリンの主著「プロセスモデル」を引用。「アインシュタインは15年という長い時間をかけて解を見いだした。何も行為しない沈黙の時間、創造的退行の時間を持つことがプロセスモデルⅧ章で説く生であり、道元が達した悟りの境地でもある。感じと身体が応答する空間。私たちの時代はⅧ的推進を待ち望んでいる」と語りました。
 末武さん(法政大)は「ここにないものを、あるものとして想像するのが、創造できる力。人間が人間であることの根源的な事態で、『原思考』と呼べる。言語や思考による拘束を解くためのジェンドリンの提案は、パターンを超え、暗在性とともに思考すること」と説明しました。着眼点として、ジェンドリンの重視するフェルトセンス(感じられた意味感覚・身体知)とともに思考することが、どこで、どのような場所で、だれと可能になり、何をもたらすかという視点を挙げました。
 岡村さん(神戸学院大)は自ら方法化した「なぞかけフォーカシング」を実例にジェンドリンの思考を論じました。「再帰性に特徴づけられ、創造性を発揮させる契機になっている。カウンセリングよりも日常の生活にフォーカシングをどう生かすのかが今後重要になる」とまとめました。ジェンドリンの思考を日本に最適化する方法の一つが「なぞかけフォーカシング」。「わからないこととつきあうのは、1人では難しいので、遊びの要素が大事。わからなさの安全弁にもなっている」と話しました。
 得丸さん(開智国際大)は、飼い猫が仲間でいるために互いに毛繕いするように、毛のないジェンドリンの手を猫がなめた例を挙げました。実際、ジェンドリン宅に得丸さんが行ったとき、犬が得丸さんの手を枕に眠ったそうです。「犬に信頼される体験をした。人間と動物の境界はグラデーション。ジェンドリンは一般的な動物の見方にとらわれず、背後に回り込むように直接動物とふれ合って、そこから思考している。『あなたの猫』は、猫ってこういうものだというカテゴリーに含まれない猫のことを教えてくれる。経験を語ることでカテゴリーを超えていくことが可能で、その前提として重要なのが知識と経験」と説きました。
 古井戸さん(早稲田大)は、ジェンドリンのフェルトセンスとデューイの教育理論の「示唆」を連関させた、学校の「総合的な学習(探求)」の時間をテーマに発表しました。「示唆」は、ジェンドリンが著書「体験過程と意味の創造」で述べている、感じられた意味の「隠喩」と「把握」ではないか、と論じました。「総合的な学習の時間をどうしていいかわからないと現場は混乱している。隠喩と把握が認められれば、その先のフォーカシングも使っていいことになる」と、フォーカシングが学校教育で使われる未来を参加者と話し合いました。